パワースポット



 
ガン封じのコブケヤキと箕作山とその山麓にあるのちょっと気になるスポットを紹介します。

  【パワースポット】
スポット位置図
 
ガン封じのコブケヤキ

 がん封じのパワースポットとして人気が出てきた五個荘伊野部町の建部神社にあるコブケヤキ。

 このケヤキは、近江の名木誌(大正2年)・滋賀の名木誌(昭和62年)にも紹介され、平成元年には、有用広葉樹種子採取整備事業として滋賀県より指定されたそうです。
 建部神社には何本かの大きなケヤキがありますが、境内右側にしめ縄が巻いてあるのがガン封じのケヤキです。
 神社を訪れたら、手水舎で身を清め、本殿に参拝した後「癌封じの欅」に触れ回復や手術の成功、再発防止やこれからの予防のために、「神様の後押しをもらえるように」と祈ります。

また、 建部神社の中嶋宮司宅では欅の木で作られたお守りを販売しておられるそうです。


欅の木で作られたお守り
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建部大社は建部神社が源?

 滋賀には、東近江市の「建部神社」と大津市の「建部大社」と似た名前の神社がありますが、この二社は深いゆかりがあります。

大津市の建部大社は社格では「官幣大社」で、近江の一宮(いちのみや。地域で最も格が高いとされる神社の意味)とされている国内有数の神社です。
 東近江市の建部神社は、今は小さく静かに見守られている地元の神社ですが 「建部大社が元々あった場所」 にあり、その源流といえる由緒ある神社になります。

 紀元前の孝安天皇の時代、この地で大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀ったのが建部神社の起源です。その後西暦116年、東近江市五個荘伊野部町の箕作山に、日本神話の神「日本武尊(ヤマトタケル)」を「建部大神」として合わせて祀ったのが建部神社の創建と伝承されています。後の西暦675年、天武天皇時代に近江の守護神として、「建部大社」のある大津市へ遷座されました。そして768年に、元々あった東近江市五個荘伊野部町に現在の建部神社が建てられたとされています。
    (建部神社宮司 中島邦晴氏の資料より)
 
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幻の宮跡 宮立

 ■宮立
 建部神社の社伝によると、箕作山の南側(伊野部側)の宮立に、第六代孝安天皇の時に建立された。祭祀は、オオクニヌシノミコトとコトシロヌシノミコトで、イナヨリワケノミコトが日本武尊の神霊を合祀した。その後、第四〇代天武天皇白鳳四年(675)四月に稲依別王の曽孫建部連安麻呂の時、栗太郡勢田大野山(現在の大津市の建部大社)に遷された。
 称徳天皇神護景雲二年(768)に至り麓の森に聖真大明神と建部大明神が設立され、建部郷17ヶ村の守護神として崇められ現在の建部神社となった。
             「ふるさと伊野部のあゆみ」より

 宮立は五個荘伊野部町の建部神社より参道を直進する北箕作山(清水山)への林道終点に石碑があります。宮立から北箕作山への登山道があり、20分程度で頂上です。林道・登山道はあれている場合がありご注意ください。
宮立の場所にある「建部大明神鎮座址」の石碑
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織田信長により落とされた箕作城址

 ■箕作城跡の石積み
 箕作城は北箕作山(325m)の山頂付近に六角定頼によって1550年に築かれた山城で、観音寺城の支城です。1568年に織田信長の近江侵攻によって落城しました。

 現在は頂上付近に主郭下の石垣と思われる石積みが数メートルほどあるのが確認できる。
 箕作山頂上及び直下の展望台からは、五個荘の街並みや鈴鹿山脈・伊吹山・琵琶湖も見渡せ絶景を楽しめます。
 案内板も設置してあり、登山口は貴船神社。または建部神社(宮立経由)がおすすめです。




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箕作山正福寺の山門
■箕作山正福寺の山門

伊野部町にあるお寺の山門に「箕作山」と有り、このお寺の正式名称は「箕作山正福寺」と言います。

織田信長により多くの兵士が亡くなり、この正福寺でそれらの兵士を弔ったと聞いています。合戦のあった九月に、今なお念仏講で合戦犠牲者の慰霊が行われています。


 
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湧水の西の沢

 箕作山山麓にある西の沢は川床から湧水が出て、透明で冷たい水を湛えています。
 

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